「システム理論入門 ニクラス・ルーマン講義録〈1〉」

 構造形成の特殊性は、まず反復しなくてはならない、つまり何らかの状況を他の何かの反復として認識しなくてはならないということにあるようです。すべてがいつも完全に新しければ、何かを学ぶことなど決してできないでしょう。そして、もちろんすべてのことはいつも完全に新しいのです。みなさんの誰もが、今日は前の時間とは違って見え、他の椅子に座り、違った様子で眠ったりノートをとったりしています。具体的に見るならば、どの状況も比較不可能です。にもかかわらず、例えば顔が再認されるというほとんど正確には記述できないこの現象があるのです。みなさんが誰かを再認するのは何にもとづいているのかを知ろうと欲したり、あるいは再認している誰かを記述しなくてはならないとしたら、再認そのものの場合よりももっと困難でしょう。みなさんは、よく新聞に出ている犯人のモンタージュ写真をご存知でしょう。それらはさまざまな苦労をしてコンピュータの助けを借りてそうした記述から出来ているのですが、再認はその他の点では通常すみやかに機能します。また循環的な論証になってしまうのですが、そもそも再認ができるためには、わたしたちは再度の認識ができなければなりません。、つまり、わたしたちは二通りのことをできなくてはならないのです。第一に、同定できなくてはなりません。古典的な言い方では、本質メルクマールやまたは同一性の手がかりを再度認識できなくてはなりません。そして第二に、状況の異種性にもかかわらず、そしてたびたびのかなりの程度の偏差にもかかわらず同一性を再び利用できるという意味で、一般化ができなくてはなりません。わたしたちはまず、何ものかへの制約ないし圧縮と関わっています。そして同時にそのことに条件づけられて再びまたある一般化と関わっています。ここで一般化というのは、まったく異なった文脈で、そしてしばしば何年たった後でも同一の人間を再度認識できたり、言語において同じ単語を別の文で別の日に別の音声で夜ではなく朝になどの状態で使用するにもかかわらず再度使用できる、などの意味でです。
もっと逆説的な表現を使うと、この論理はつぎのことを裏づけているように見えます。同定と一般化、特定と一般化の継続的テストは、心的システムかコミュニケーション・システムのなかだけで行われる、システムに固有のパフォーマンスでしかありえない、ということです。このコミュニケーションシステムがもし機能しないならば、わたしたちは決して言語を習得できないでしょう。一つの単語は、どの文のなかで話されるかに応じてきわめて多様な意味指示をもちます。ですから、単語や標準化された身振りは多様な効果をともなうのですが、それにもかかわらず反復可能であり別の文脈でも使用可能なわけで、コミュニケーションシステムは、こうした単語や身振りを用いているのです。そしてわたしたには、特定と一般化のこの両義性ないしパラドクスが、こうしたことがシステムのなかでのみ展開しうることの根拠であるように思えます。

 情報が定義されるあり方をよりくわしく見てみると、人はつねにある驚きと関わり、多くの可能性からの選択と関わっていることがわかります。人がある文を語る時、語りうる多くの文からの選択がなされていますし、すでに言われたものによって限定されています。たとえば誰が勝って誰が負けたとか、誰かが病気のために出場できないといったスポーツの情報を新聞から得るとき、人はもともとそのようなことがことが起こりうることを知っているあるコンテクストと関わっています。こうしたことがいつ起こるか、誰が勝って誰が負けるかを前もってい知ることはできませんが、テニスプレイヤーがサッカーの試合で勝つことはありえません。このように情報の選択地平はつねに何らかの仕方で限定されていて、通常は狭く規定されているものですから、その情報を理解する前にすべての可能性にふれる必要はありません。そこで重要なのは、つねに二つの事柄です。つまり、その可能性を限定する背景と、それ以外には問題にならない、それに適合した選択です。
このことはまた意味概念についても述べたように、意味概念と情報との区別を促します。というのは、情報とは選択の際の一種の不意打ちだからです。情報が繰り返されると、残る情報はたかだか、情報が繰り返されることが必要だと誰か考えることだけです。軍隊における命令の場合、兵士は言われたことを繰り返されなければなりませんが、その際の情報とは、彼がその命令を理解したかどうか、そしてその通りに行動したかどうか、その指示にしたがったかどうかであり、それはいつでも情報でありえます。しかし、人はつねに新しい予期のコンテクストを構築し、新しい縮減を先取りしなければなりません。

 みなさんが思い出されることは、システムというものが、つねに作動からなりたち、システムがどのようにして新しい作動を現実化できるのか、そのかぎりで、成立するということでしょう。システムはいつもただそのつどの現実的な作動の現在性のなかでのみ、したがって複雑化されたときにのみ、また心的システムの場合は、ただ注意が活性化されたときのみ、成立するのです。 わたしたちのテーマにとっては、構造が利用される場合、構造もまたともかく現実的である、ということです。そこには地平ーいわば理念的世界が、あるいは進行する出来事の存在に資する不変的なもの、自己自信から立ち現れた安定性を有する地平ーは、もはやありえません。作動のみが現実性として存在します。そしてつぎに現れる問題は、ある作動がどのように他の問題に続いて現れるのかということであり、そこには構造に関係する機能があります。ある作動がどのようにして、つぎの適切な作動を見出すのでしょうか。あるいはどのようにして作動自体が、与えられた出発点の位置において自分自身を作り出すのかということです。ある作動が過去のものとなり、それがもはや現実的でない場合、別の作動はまだ現実でなく、それは未来です。その場合、構造の現実性はそれが長い時間する存在のモードということではありません。むしろ構造の現実性は、それが時間となるということ、利用されるということのなかにあります。構造が利用されるとき、それは存在するのです。このことはまずもってシステム理論が構造と機能へと分割されるということから取り出される結果です。構造と過程とがあるのではなく、システムは、システム自身が現実化される、そうした作動のタイプによって形成されます。そして構造において発生させられ、必要となり、想起され、再び利用されたり、あるいはされなかったりする事柄はこの当該システムにおける諸作動の呼び出しと呼び戻しに左右されます。システムというものが二つの構成要素成分のタイプ、つまり一方では出来事と過程、他方では構造から同時に組み立てられると考えるならば、システムの統一性についてのより明確なイメージをもち、そのつどの作動に関係しーわたしたちの場合はコミュニケーションですがー、人々が抱くような困難はありません。
したがって、構造は作動の回帰的ネットワーク化のシステムにおいて利用されるコピーであるといえるでしょう。作動は、過去をさかのぼって把握し未来を前もって把握します。進行している確かな状況の中で、目下それに適合していること、選択的な記憶および達成したいもの、あるいは生起する出来事に対応するイメージをもっています。
このことは、わたしたちがつぎのような問題を抱えているということを意味しています。すなわち、どのように回帰、反復、つまり先取りと後撮りとが、ある個々の作動の同一性の構成要素として処理されるのか、という問題です。前もって進行し、そして終了する事柄と関連する事前の方向づけに関係したならば、どのようにして一つの命題、司令、依頼、言表、一定の状況下での確定にいたるのでしょうか。その場合、構造はそのつどのシステムにおける回帰的な方向付けの恒常的な活動の一括コピーですーつまり、一瞬ごとに流動し更に進むこと、過程を進めること、システムのさらなる作動に情報と方向指示を提供することに役立つものです。

システム理論入門―ニクラス・ルーマン講義録〈1〉 (ニクラス・ルーマン講義録 1)

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