命題集註解(オルディナティオ)第一巻第三区分 (ヨハネスドゥンス・スコトゥス)

この種[必然的命題]の知に関して言えば、知性は感覚を、[知識の]原因としてではなく、ただ[知識を受け取る]機会としてもつのみである。なぜなら、知性は感覚から受け取られたものなしには単純なものどものの知解[名辞]をもつことができないのであるが、ひとたびそれを受け取ったなら、知性は自らの力によって単純なものどもを一つ[の命題]に組み合わせることができるからである。そして、もしもその単純な観念から見て命題が名証的に真であったなら、知性は自身に固有の力と名辞の力によってその命題を承認するのであって、名辞を外から受け取る際に用いる感覚の力によって承認するのではない。たとえば、知性が感覚から「全体」の概念と「より大きい」という概念を受け取り、そして知性が「すべて全体はその部分より大きい」という命題を組み合わせた場合、知性は自信の力とその名辞の力によってその命題を疑えない形で承認するのであって、「ソクラテスは白い」という命題[偶然的命題]を承認する場合のように、その名辞が実在において結びついているのを見ることによって承認するだけではないのである。否、むしろ私は言う。たとえ名辞を受け取る際に用いる感覚のすべてが誤ったいたとしても、あるいは、それ以上に欺かれやすく、ある感覚は間違っていてある感覚は真であるとしても、知性はこのような原理に関しては欺かれることはないのである。なぜなら、知性は真理の原因であるところの名辞を自身の内にもつからである。すなわち、もし仮に生まれつき盲目の人に、眠っているあいだに奇跡が起こって、彼の心に白と黒の像が刻印され、それが目覚めたあとにまで残っていたなら、その像から抽象を行った彼の知性は、「白は黒ではない」という命題を組み合わせるだろう。そしてこの命題に関して、彼の知性は、たとえ誤った感覚から名辞を受け取っていたとしても、欺かれることはない。なぜなら、彼の知性が到達した名辞の形相的理解は、この否定命題が真理であることの必然的原因だからである。

中世思想原典集成 (18)

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