連続性の哲学 第4章因果作用と力(パース)

 なぜ偶然が永久的な変化を生み出すのであろうか。こう問われたとき、われわれの口から自然に出てくる答えは、時間における各瞬間どうしが独立であるためである、というものであろう。変化が生み出されたまさにその時点で、当の変化を生み出さないような特別の理由は存在していないから、というわけである。人が賭け事でナポレオン金貨を得たとすると、彼が賭け事に加わる前にその金貨を失う恐れがなかったのと同様に、得た段階で失う恐れもないはずである。とはいえ、時間の各瞬間が相互に独立であるということを口にしたとたん、われわれはこの考えの不条理さに驚いてしまう。人はさまざまな連続性を、まさに連続性そのものともいうべき時間という眼鏡を通して目にするのであり、この時間の諸部分くらい相互に独立性を欠いたものはないのではないか。たしかに、連続性とは、互いにことなっており、異なり続ける物どうしを一緒にすることから生まれるのであり、したがってそれらはある意味では互いに依存しあっているが、また別の意味では独立であるともいえる。(中略)しかしながら偶然によって生じる結果の永続性は、たしかに時間の各瞬間の独立性に依っている。とすれば、この謎はいかにして解かれるだろうか。
 この謎の答えは次の点にある。すなわち、時間は現在という特別な瞬間において、非連続な点を持つのである。現在という時点のもつこの非連続性が、保存的な作用のもとでは一つの姿を取って現れ、非保存的な作用のもとでは別の姿を取って現れる。保存的作用においては、現在という瞬間は、他のすべての瞬間と絶対的に異なるが、他のすべての瞬間どうしは相対的に異なるだけである。これにたいして、あらゆる非保存的作用のもとでは、過去と未来とは、それがわれわれの意識に現れる通りにに、互いにまったく断絶している。したがって、時間における現在以外の全瞬間は互いに完全に独立ではないのであるが、現在という瞬間のみにおいては非連続性が姿を表す。それは完全無欠な非連続性ではないが、それでもなおある面では絶対的な非連続性である。おそらくすべてのランダムな分布は、時間の中での出来事のランダムな分布というものから発生する。そして充足理由律の不在ということによってしか説明できないものとは、一切の源となるこのランダムな分布のみであり、それは一個の絶対的な第一性をもつ存在である。

 人間のすべての知的発展が可能になったのは、われわれのあらゆる行動に誤りの可能性があるという事実のためである。このことは、よくよく考えてみなければならない重要な事柄である。「過つは人間の性」こそ、われわれがもっとも熟知している真理である。生命の無いものはまったく誤りを犯さない。低級な生物もほとんど誤らない。本能はほとんど無謬である。これにたいして、理性は人間にとって決定的に重要な事柄についての、非常に危なっかしい先導者となる。こうした誤謬の傾向を子細に検討してみると、誤謬は時間のなかでのわれわれの行動のランダムな変動に他ならない、と言うことが分かる。しかし、しばしば見落とされているのは、われわれの知性が育まれ成長するのは、当のランダムな変動によってであるということである。なぜなら、そうしたランダムな変動がなければ、われわれの習慣形成は不可能であり、そして知性とはこの習慣の可塑性のことだからである。

連続性の哲学 (岩波文庫)

連続性の哲学 (岩波文庫)