プラトン「メノン」

「蜜蜂にはいろいろとたくさんの種類があって、それらは互いに異なったものであるというのは、それらが蜜蜂であるという点においてそうなのだと、君は主張するのかね?それとも、その点では、それらは互いに少しも異なるものではなくて、何か他の点、たとえば美しさとか、大きさとか、その他そういった何らかの点で異なっているのかね?」

君が挙げたいろいろの徳についても同じことが言える。たとえその数が多く、いろいろの種類のものがあったとしても、それらの徳はすべて、ある一つの同じ(すがた)相(本質的特性)をもっているはずであって、それがあるからこそ、いずれも徳であるということになるのだ。この相(本質的特性)に注目することによって、「まさに徳であるところのもの」を質問者に対して明らかにするのが、答えとしての正しいやり方というべきだろう。

「人間は、自分が知っているものも知らないものも、これを探求することはできない。というのは、まず、知っているものを探求するということはありえないだろう。なぜなら、知っているのだし、ひいてはその人には探求の必要がまったくないわけだから。また、知らないものを探求するということもありえないだろう。なぜならその場合は何を探求すべきかということも知らないはずだから」―。

すなわち、彼らの言うところによれば、人間の魂は不死なるものであって、ときには生涯を終えたり―これが普通「死」とよばれている―ときにはふたたび生まれてきたりするけれども、しかし滅びてしまうことはけっしてない。

こうして、魂は不死なるものであり、すでにいくたびとなく生まれかわってきたものであるから、そして、この世のものたるとハデスの国のものたるとを問わず、いっさいのありとあらゆるものを見てきているのであるから、魂がすでに学んでしまっていないようなものは、何ひとつとしてないのである。だから、徳についても、その他いろいろの事柄についても、いやしくも以前にも知っていたところのものである以上、魂がそれらのものを思い起すことができるのは、何も不思議なことではない。なぜなら、事物の本性というものは、すべて互いに親近なつながりをもっていて、しかも魂はあらゆるものをすでに学んでしまっているのだから、もし人が勇気をもち、探求に倦むことことがなければ、ある一つのことを想い起こしたこと―このことを人間たちは「学ぶ」と読んでいるわけだが―そのことがきっかけとなって、おのずから他のすべてのものも発見するということも、充分にありうるのだ。それはつまり、探求するとか学ぶということは、じつは全体として、想起するということに他ならないからだ。

こんども気がつくかね、メノン、この子が想起の過程において、すでにどんなところまで、前進しているかを。―最初この子は、八平方プゥスの正方形の一辺がどのような線であるか知らなかった。ちょうどいまもやはりまだ知らないでいるのと同じように。しかしすくなくとも、あのときには、この子はそれを知っていると思いこんでいたのだ。そして、あたかも実際に知っているかのように確信をもって答え、そこに何らの困難も感じていなかった。ところが今では、この子はすでに自分が困難に行きづまっていることを自覚して、知らないままでいる実情のとおりに、また知っていると思い込むようなこともないのだ。

この子の中には、この子がいま述べたようないろいろの思惑が内在していたということはたしかだ。そうではないだろうか?

とすると、ものを知らない人の中には、何を知らないにせよ、彼が知らないその等の事柄に関する正しい思わくが内在しているということになるね?

それは、誰かがこの子に教えたからというわけではなく、ただ質問した結果として、この子は自分で自分の中から知識をふたたび取り出し、それによって知識をもつようになるのではないかね?

しかるに、自分で自分の中に知識をふたたび把握し直すということは、想起するということにほかならないのではないだろうか?

そこで、もしわれわれにとって、もろもろの事物に関する真実がつねに魂の中あるのだとすれば、魂とは不死のものだということになるのではないだろうか。

もし誰かが、ラリサでもほかのどこでもよいが、そこへ行く道をちゃんと知って歩きながら、他の人々を導いていくとするならば、むろんその人は正しく、よく導くことになるだろうね?

ではこういう場合はどうだろう。ある人が、その道を実際に通ったことがなく、ちゃんとした知識をもっているわけではないが、しかしどの道を行けばよいか見当をつけて、その思わくを持っている限りは、知ってはいないが思うところが真実をついているというその状態のままで、導き手としては少しも劣るところがないのだ―それをちゃんと知っている人と比べてもね。

正しい思わくというものも、やはり、われわれの中にとどまっている間は価値があり、あらゆる良いことを成就させてくれる。だがそれは、長い間じっとしていようとはせず、人間の魂の中から逃げ出してしまうものであるから、それほどたいした勝ちがあるとは言えない―人がそうした思わくを原因(根拠)の思考によって縛り付けてしまわないうちはね。しかるにこのことこそ親愛なるメノン、先にわれわれが同意したように想起にほかならないのだ。そして、こうして縛り付けられると、それまで思わくだったものは、まず第一に知識となり、さらに永続的なものとなる。こうした点こそ、知識が思わくより高く評価されるゆえんであり、知識は縛られるという点において、正しい思わくとはことなるわけだ。

メノン (岩波文庫)

メノン (岩波文庫)

  • 作者:プラトン
  • 発売日: 1994/10/17
  • メディア: 文庫