ジョセフ・ラズ「権利の性質について」

一 権利についてのある説明のしかたの概観

 権利は、他者における義務の根拠である。権利に根拠を持つ義務は、条件的義務の場合もある。業務の遂行に関する雇用の指令に従うべき、被用者の義務を例にして考えてみよう。この義務は、被用者に指令を与えるという、雇主の権利に根拠を持っている。しかし、この義務は条件的義務である。つまり、雇主が特定の行為をせよと指令した場合にその行為をなすべき義務(しかも、この雇用にかかわる事柄に関する場合)なのである。被用者に対する雇主の権利は、被用者に指令を与える彼自身の権能のための根拠である。しかし、まさにその同一の権利が、自己の職権を他者に委任する権利をも、雇主に付与するのである。雇主が彼の職権を委任することを選んだ場合には、その権利はさらに、その被用者の一人が行使する権能の源となるのである。この場合には被用者は、権能を付与された人物の指令に従う義務を負い、そしてこの義務は、委任された職権と同様に、雇主の権利に根拠を有しているのである。

二 核になる権利と派生的権利

 権利の中には、他の権利から導き出されるものがある。権利は、義務や権能の根拠であるのと同様に、他の権利のための根拠であることもできる。ここでは、他の権利のなかに根拠をもつ権利を、派生的権利とよぼう。派生的ではない権利は、核になる権利である。派生的権利と核になる権利(あるいは、なんらかの他の権利)との間の関係は、正当化関係である。派生的権利が存在するという言明は、核になる権利の存在を必然的に伴う一つの言明を(余分なものとしてではなく)含むような、健全な論証の結論であるはずである。しかし、このように必然的に生じるすべての権利が、派生的権利というわけではない。派生的権利の存在を正当化する種々の前提も(たんにその権利の存在の証拠あるいは証明でさえなく)存在するはずである。このような正当化を与えるためには、その諸前提の真理性が、結論の真理性に依拠せずに確立されることができなければならない。

 たとえば、逆立ちして歩く私の権利は、こうすることによって得られる利益、もしくは私の自由な行動を妨げないという他者の義務によって得られる利益のいずれかに、直接もとづくものではない。この権利は、私が自ら欲するがままに自由に行動しうるという利益―身体的自由に対する一般的権利は直接にその利益にもとづいている―にもとづくものなのである。つまり、逆立ちして歩く私の権利は、身体的自由に対する一般的権利の一つの例である。身体的自由に対する権利は核になる権利であり、そこから他の権利が導かれる。同じように、私が[このような論文を通じて]以上のような発言をする権利は、言論の自由という核になる権利から派生するのであり、また私が今手に持っているタバコを捨ててしまうことは、私がそのタバコに対して有している所有権から派生するのである。しばしば権利保持者は、彼らが派生的権利を有しているものに対して直接の利益を有することがある。しかし、このような利益は必ずしもつねに、権利保持者の権利を根拠づけるものではない。ある権利は、その権利が存在するという言明の正当化のなかに、必然的にあらわれる利益にもとづいている。この利益は、直接的には核になる権利に、そして間接的には派生的権利に関係している。核になる権利と派生的権利の間の関係は、理論的な必然性の関係ではなく、正当化の順序の関係に他ならない。

 一般的な権利の言明は、その具体的な実例である個々の権利の言明を、必然的に伴うものではない。たとえば、私は、他人を中傷する権利を有することなしに、言論の自由に対する権利は有しているであろう。中傷ということに関しては、言論の自由の権利は、自らの評判に対して人々が有する利益によって完全に打ち負かされるのである。

三 権利と義務の相関性

 すべての権利にそれぞれ一つの義務が対応しており、この義務とは、その権利の目的物の享受や占有を保証することであり、かつこの義務は、権利保持者の意志に依存する、という点である。これら三点は、すべて誤っている。たとえば、教育を受ける権利は、人々が教育を受けることを望もうと望むまいと、教育を受ける機会を一人一人の個人に提供する義務を根拠づけている。また、権利に対応する義務が、その権利の目的物を保証するとは限らない場合が多いし、権利が一つのではなく複数の義務の根拠となる場合もある。たとえば、身体の安全に対する権利は、あらゆる事故や侵害から人を保護するように他者に要求するものではない。しかし、この権利は、権利保持者に対して暴行、強姦、不法監禁などを行わないといった、いくつかの義務の根拠となるものである。

 ある人が有している権利は、他者が負っている義務とは同一ではないのである。むしろ権利とは、義務の根拠であり、互いに衝突する考慮によって覆されないかぎり、他者に義務を負わせることを正当化する根拠なのである。

 権利に対応する義務を、完全にリストアップしたものは存在しないという点である。権利の存在によってしばしば他者が義務を負うことになるのは、この当事者たちの間に特殊な事実が存在しているためか、もしくは彼らが生活している社会に一般的な事実が存在しているためである。また、状況の変化に応じて、新しい義務が古い権利に依拠して創造されることもある。
 権利が有するこのようなダイナミックな側面、すなわち新たな義務を創造する能力は、実践的思考における権利の性質を理解する上で基本的に重要な事柄である。

権威としての法―法理学論集

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