ドゥルーズ「差異と反復」で扱われるアリストテレス論について(2)

前回の記事の続きbqgism.hatenablog.com


たとえば「白い」と「黒い」が「人間」から切り離せるように、偶有性が基体から切り離せる場合と、たとえば「おす」と「めす」が「動物」から切り離せないように、偶有性が基体から切り離せない場合がありうる。場合によっては、差異は、共通的あるいは固有的と言われるだろうし、他方、差異が質量に由来しているかぎりは、その差異はつねに偶有的であろう。したがって、本質あるいは形相における反対性のみが、わたしたちにそれ自体本質的な差異(本質的、アルイハ、モットモ固有ナル差異)という概念を与えてくれるのである。

a.人間の肌はその色以外にも別の色でもありえて、あるときは白色であっても日焼けによって黒色になるということもありえる。
b.生物は「おす」だけでなく「めす」も存在するが、「おす」と「めす」それぞれ別の性に変化するということは不可能である。
c.「おす」と「めす」の差異は、二つの性をもつ種すべてに共通しているが、それ以外の差異は異なる仕方によって区別される
d.白色と黒色といった肌の色は、その人の肉体に由来している限り、違う色に変化することもありえる
e.「おす」と「めす」の区別といった、その特徴(形相)をもつものに共通的あるいは固有的であるような反対性のみが、わたしたちに根源的で恒常的な差異という概念を与えてくれる。 f:id:bqgism:20181216154933j:plain
すごい難しい。ときどき自分が何を書いているのかわからなくなる。正直前の記事を書いていたときに、ドゥルーズが何を言おうとしているのか大体予想はついていて、この人は前置きが長いなってすごい思った。この後に「存在の一義性」という言葉が出てくるのだけど、わざわざそんなことを言うためにこんな回りくどいことを言っているのかと思うと気が滅入る。